母を支配する祖母、私は母を守るガードの役目
2018.1.11 (2018.1.25更新)
母娘関係改善カウンセラーの横山真香です。
自分の母親と祖母の関係
いつもは控えているのですが、今回は珍しく自分の母親と祖母の関係について書いてみたいと思います。
祖母と母親の関係は、母娘問題に該当すると思います。明治生まれの祖母と昭和ひと桁生まれの母との間には典型的な母娘上下関係がありました。
祖母というのはかなりわがままで、横着者で、長女である私の母に頼り切っていたように思われます。
母は10代の頃から家事を切り盛りし、そんなわけで祖母は食事の支度もまかせっきり。普段なら夕食準備の時間、台所に立つはずが、娘がしてくれるおかげで、ご近所さんにおしゃべりに行く。そんな事をしていたそうです。
そんな祖母と一緒に暮らさなければいいのに、なぜか私が中学に入る時、母は祖父母と一緒に暮らす決心をします。父も同意してくれたので、同じ県内のC市から横浜に引っ越したのです。
同居すればもちろん、母が祖父母と私達家族の食事作りをします。祖母は料理が苦手で下手だったため、祖父はとても喜んだそうです。何しろ、気難しい祖母と二人きりの生活から、娘夫婦、私という孫娘との同居となり、私の母が作る美味しい手料理を頂くことができるようになったわけですから。
同居の前から私は祖母に対して、母を支配する人 と見なしていたため、最初から警戒モードでした。つまり、母を守る役に私はついたわけです。
ある時、母が高熱を出して寝込んだときの事。祖母は自分が台所仕事をしなければならずとても不機嫌でした。そして、母には熱いミルクをあげるように、私に持たせたのです。
私は何も考えることなく、母のところに持っていったのですが、その時母は初めて「今、熱で体が熱くて熱くて、こんなに熱いミルクは飲めない」と涙を流して言ったのです。
私はそのミルクを流しに捨て、祖母への怒りに震えました。もちろん、祖母はわざとやったわけではないのですが、普段、人の世話をしない人には、他人がどのような状況で何を欲しているか、想像することができないのです。
それでも、冷たい飲み物が欲しいと言えない、母の気持ちが私には痛いほど、わかりました。
このときの強烈な思いは、今も強く私の心に残っています。
あれから数十年たち、もちろん祖母は亡くなっています。
そんな祖母でしたが、私は高校生のときに、ある事をきっかけに怒鳴り返すといったことをやってからは、不思議に祖母には心を開けるようになったのです。というのは、祖母のことを怖がらなくなったから。
そして、ここに母娘関係の複雑さがあると思うのですが…。
祖母が亡くなった今も、私の母は祖母の事は決して悪くは言わないのです。「幼い頃、父親がなくなり、母親は実家に帰ってしまい、残された子供達(祖母とその兄弟姉妹)のことを、祖父母、おじ、おばは邪魔者のように接したらしいの。だから、おばあちゃまは可愛そうな生い立ちだったのよ」
それはそうだけど、だからといって、自分の娘(私の母のこと)を女中さんのように使うのはどうなのか。そのように扱われた当の本人が、祖母のことを懐かしく話し、第三者である私の方が「それは支配なのよ!」と憤る。
母親に、祖母がいかに母親として問題があったのか、今更、説得する必要はないでしょう。、けれども、母娘関係改善カウンセラーの私としては、「熱いミルクが飲めない」となぜ祖母に言えなかったのか。当時の母の気持ちがものすごくよくわかるから、だからそういった人の心に寄り添いたい、その気持ちが今も強いです。
私が母娘問題に特化したカウンセリングを行う理由は他にもあり、それはホームページにも書いてあります。しかし、今回記したミルクのエピソードも、私がこのテーマのカウンセリングを始めた原点の一つなのです。
母娘関係改善カウンセラー横山真香 横浜元町&東京広尾ルーム
テーマ: 毒母
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