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娘への暴言、体罰ではないからと罪悪感のない母

娘への暴言、体罰ではないからと罪悪感のない母

 

 

母娘関係改善カウンセラーの横山真香です。

 

私のところに来られる娘側クライアントさんの多くは、子供時代に母親からの暴言がトラウマとなり、大人になった現在も苦しみを抱えておられます。

 

その話を他人にすると、「暴力をふるわれたわけじゃないのでしょう。もう忘れなさいよ」とか、「私なんて叩かれたこともあったけど、今では母と仲いいわよ。お母さんを許してあげなさいよ。いつまでも怒りを引きずっていたら、あなたが幸せになれないわよ」と言われるそうで、よけい苦しみが増すと言います。

 

そんなことはわかっているのです。子供の頃なんて遠い昔のこと。すでに30代、40代、50代の大人なのに、いまだに当時の言葉がふとしたときに浮かぶと、母親への怒り、憎悪で胸が苦しくなる。手が震え汗でじっとりしている。

 

こんな自分が恥ずかしいし、嫌になる。けれども、もっとつらいのは、自分がこんなに苦しい思いをしているのに、母親はそれを知らないという事実です。母親は、娘との関係が良好だと思っている。世間でいう母娘問題は、自分とは関係のない話だと思っているのです。

 

それが娘にとっては余計こたえるのです。「私達はよかったわね、仲良しの親子で」などと母親から言われると、それこそ動悸が激しくなって立つのもつらい状況だというのに。

 

そこで、娘は何度も考えた末にようやく決心します。「もう我慢できない、母親に話そう。本当の気持ちを」

 

その日のために、自分の言葉にしてノートに書きつけてみる。母親にうまく話せるように、手紙を何度も書いてみる。準備を重ねてようやくその日を迎えるのですが。

 

  • 体罰ではないからと言い訳する母親

 

いよいよ、母親に今までの思いを伝える時がやってきます。「何よ、あらたまって話なんて」と笑顔でお茶を淹れてくれた母親に、まずはこれを読んでと手紙を差し出します。

 

それは自宅で1カ月以上にもわたり、書いては破り、消し、また書き直しようやく完成させた母親への手紙です。母親に子供の頃からずっと言われ続けてきた暴言の数々。今でこそ言われる機会は減ったけれど、だからといって記憶が消えたわけではない。

 

「お母さんとは表面上はうまく付き合わなければと思っていたけれど、私は、暴言のせいでずっと苦しんでいました」。このメッセージをずっと伝えたかったのです。

 

目の前で母親が手紙を読み進めていく間、娘はただただ待っています。もしかしたら、母親は泣き出すかもしれない。いきなり、土下座して謝るかもしれない。いくつか想定されるシーンが頭の中をめぐり、長い時間に感じられます。

 

けれども…。

 

読み終え手紙をたたむ母親は、ほほ笑みすら浮かべているではありませんか。そして口から出た衝撃の言葉は耳を疑うものでした。

 

「暴言だなんて大げさな。要領が悪いとか、ぶさいくだとか、本心から言っていたわけじゃないし。暴力ふるっていないでしょう。私なんてね、あなたのおばあちゃんから実際にぶたれたり体罰がひどかったのよ。さあさあ、昔の話なんて持ち出さないで、お昼、何が食べたい? おなか空いたわよね」

 

  • 言葉の暴力を認めない母

 

母親の感覚からすると、「暴言というほどひどい言葉は発していない。たんに言葉だけで、体罰はしていない。あくまでしつけの範囲で子供のために言ってきたことであり、言葉の暴力ではない」ということらしいです。

 

今回挙げた事例のモデルである夏江さん(仮名28歳・派遣社員)は、子供の頃から母親の暴言におびえ、傷つき、今も心をえぐられることがあると言います。勇気を出して言ったにもかかわらず、母親は真正面から受け止めようとはしませんでした。

 

それどころか、「しつけのつもりだった。あなたの捉え方がオーバーすぎる。被害者ぶって」など、悪いのは夏江さんの方と言わんばかりで、「お母さんが悪いの?」と声を荒げます。

 

絶対に自分の非を認めない母親の依怙地な態度に、「この人には何を言ってもだめなのだ」と、夏江さんは虚しさを感じてしまったそうです。

 

  • 自分が求めているのは何かを確認する

 

このようなケースの場合、実は、手紙を渡す前、または母親に思い切って気持ちを伝える前に、自分が何を求めているかをはっきりさせておくのがベターです。

 

「母親は自分の過ちを認めて謝ってくれるだろう」と想定するなら、「親の謝罪」を求めています。

 

それが期待できそうにないのなら、たとえば、「母親は恐らく怒るだろう、または言い訳をするだろうと」と想定するなら、メッセージを伝えることに意義がある、とした方がよいでしょう。

 

あるいは今後の関係改善を求めるなら、「私へのお母さんの言葉がきつくて私は傷ついている。これからもそのような言葉を言われ続けるのならば、少し距離を取りたい」と具体的に提示する方法もあります。

 

避けたいのは、せっかく気持ちを伝えたにもかかわらず、母親の反応によってさらに自分が傷つくことです。それだと、今までの努力が水の泡になるばかりか、「どうせ何をやっても無駄なのだ」とあきらめの気持ちに変わってしまいます。結果、無力感、虚無感が心を占めるようになります。

 

このような話をすると、周囲からは「もういい加減に、お母さんの言葉をスルーすればいいじゃない。たったそれだけのことでしょう」と言われがちです。でも、スルーできないから娘は苦しむのです。

 

ではいったい、この苦しみを乗り越えるにはどうしたらよいのでしょうか。

 

  • 言葉の暴力には自己免疫力をつける

 

母親の「私が言ったことぐらいで苦しむなんて」というのは言葉による心の傷を過小評価しています。言葉の暴力は、実際ナイフで切られるのと同じ、あるいはそれ以上に深刻なダメージを及ぼすことがあります。

 

自己肯定感、自己信頼の低下、欠如。自己開示ができず他人を信じることができない、など人間関係への悪影響は計り知れないほどです。

 

まずは親から暴言を受けた記憶に苦しめられているのであれば、それはトラウマと認めましょう。そして、暴言を克服すると身構えるより、自分の中に免疫力をつけることです。

 

言葉の暴力によるダメージには、自己免疫力で防御しましょう。具体的にいうと、自己免疫力をつけるというのは、マインドを鍛えることです。マインドとは心の姿勢、あり方を意味します。

 

暴言を吐いた相手、母親に対する心の姿勢=マインドを鍛える必要があります。

 

長年、母娘問題カウンセリングを行ってきた私は、母親と向き合うとき娘に必要なのは、勇気や恐れない心とか、何が一番必要かということを模索してきました。そして、わかったのです。

 

自分を変えるとか、生き方や性格を変えるとか、そんな大それたことでなくていいのです。

ほんの少しだけ、マインドを磨く、育む、鍛える。それだけで、状況が変化するのを目の当たりにしてきました。

 

もし、このブログを読んで頂いて「マインドってどうやって磨くの? 鍛えるの?」と興味を持って頂けたのであれば、私のホームページから「実践マインド・プログラム」のご案内をご覧ください。

 

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